ベトナムの歴史 ベトナム戦争(1960年~1975年)
植民地支配と米ソ対立が生んだ悲劇、ベトナム戦争について分かりやすくまとめました。
ベトナム戦争
1885年
ベトナム全土がフランスによって完全支配されます(このフランスによる完全支配は約60年間続きます)。
1939年
第2次世界大戦がはじまります。
1940年
当時、ドイツと戦争をしていたフランスが敗れます。そこにつけこんだ日本軍があっというまにベトナム進出して占領してしまいました。これがいわゆる仏印進駐です。
1941年
フランスからの独立を求めるベトミン(ベトナム独立同盟会)が、ホー・チ・ミンによって結成されます。ベトミンはインドシナ共産党を中心に結成されました。
1945年
日本が戦争に負けると、日本はベトナムから撤退しました。日本に占領されていたベトナムは「独立するぞ!」と喜びました。この年に、ホー・チ・ミンがベトナム民主共和国の誕生を宣言。が、再びフランスがやってきます。やっとつかんだ独立のチャンス!ベトナムの人たちはフランスに激しく抵抗します。
1946年
ベトミンは、北部にベトナム民主共和国を樹立。
→東南アジア最初の社会主義国家
→フランスの傀儡国家(つまりフランスが南部を統治)
もともと北部はフランスの植民地でしたから、フランスは北部の独立を認めたくありません。フランスと北ベトナムの戦い、インドシナ戦争がはじまります。ベトミン軍は、中国と世界中の共産化を目指すソ連から援助を受け、フランスはアメリカから援助を受けました。
1954年
めでたくベトミンが勝利。が、今度はアメリカがやってきました。
1955年
アメリカの影響を受け、南部にベトナム共和国(通称:南ベトナム)が樹立。
共産主義派の北ベトナムと、資本主義派の南ベトナムに分断されました。こうしてベトナム戦争が勃発!
アメリカは北部を手に入れようと、どんどん兵を送り込むようになります。アメリカは「あるひとつの国が共産主義化すれば、ドミノ倒しのように近隣の国が共産主義化してしまう」と考えていたからです(ドミノ理論)。
当時、反共産党政策をとるアメリカは、世界中の共産化を目指すソ連と仲が良いベトナム民主共和国を占領しようと必死だったのです。冷戦構造(共産主義・社会主義陣営と資本主義・自由主義陣営の対立)にあったのです。
1960年
反アメリカをとるベトコン(南ベトナム解放民族戦線)が結成されます。
アメリカは南ベトナムにおける共産主義の浸透を止めるため、そしてベトコンを壊滅させるため、クラスター爆弾、ナパーム弾を使って攻撃をしました。ベトナムにはたくさんジャングルがあります。ベトコンは、そのジャングルに隠れアメリカに対抗しました。アメリカはジャングルを何よりも嫌いました。そこでアメリカが使用したのが枯葉剤です。
1964年
ある事件をきっかけにアメリカが本格的に軍事介入をします。アメリカは、最盛期で一度に54万人の軍人を投入したこともありました。兵士だけでなく、大人も子どもも関係なく皆殺しにしていきます。しかし、アメリカはなかなかベトナムに勝てません。
次第にアメリカではアメリカ国民による反戦運動が高まります。反戦運動の背景にはメディアの発達がありました。
1975年
アメリカはベトナムからひくことになりました。ベトナム戦争の終結です。
1976年
ベトナム社会主義共和国が成立して統一されました。
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